理学療法士が建築家を目指してみた

「理学療法士」兼「介護支援専門員」の30代後半の医療介護福祉従事者が、「建築家」を目指し一念発起。住まいや環境などについて考えたことや、自分自身の考え方などを発信していくブログにしていこうと考えています。医療介護福祉関係の方、建築関係の方問わず、様々な意見を頂ければ幸いです。また、30代後半からの転職を考えている方にも何か参考になることがあればと思います。

「空き家問題」について今思うこと 2019

 地方各地で「空き家」が問題となっているようです。私の住んでいる地域においても放置された空き家が散見され、建物によっては今にも崩れるのではないか、と心配されるようなものもあります。

 今回は地方における「空き家」の問題と、「人口減少」について少し考えていきたいと思います。

 

 

・なぜ空き家は増えるのか?

・人口減少の対策として考えられること。

 

 

1.なぜ空き家は増えるのか?

 

 医療関係の仕事をしている中で「高齢者のみ」という世帯はよく見かけます。私の住んでいる地方では高齢者世帯が多く、子供家族などは離れた都市部で生活をされているケースが少なくありません。そのような世帯に居住される方々が疾患を患い、入院。加齢の影響もあり身体機能の低下だけでなく、認知機能の低下、いわゆる認知症も相まって、介護者のいない在宅への復帰が困難となり施設入居せざるを得ない例や、不幸にも亡くなられてしまう例など、入院などを契機に居住者が不在になってしまうケースは多くあるパターンだと思います。

 

 医療介護福祉の仕事は基本的に「人」に相対する仕事であるため、対象となる「人」を中心とした人間関係を主にフォローしていくことになります。そのため、その人が住んでいた「住まい」や「環境」について、その人が生きて生活をしている間には一つの鍵として考えることになりますが、その人が、その住まいを離れてしまったときには、どうしてもその建物としての「住まい」は関わり合いの中で考える対象から外れてしまうのです。

 私がそのことについて感じることになったのは、とある席にて空き家問題に取り組んでいらっしゃる方と出逢ったことがきっかけです。その方に

 

「人の終わりと住まいの終わりは違います。人が亡くなられても、建物としての住まいは残り続けます。残された建物がそこに住む人の終わりと同時に見放されることで、その建物の資産としての価値も下がってしまい、住まいとしても終わりを迎えてしまうことが問題なのです」

 

という話をしていただきました。

 「人」と「住まい」は密につながっているが、同一ではない。「人の『生』」の中に環境としての「住まい」があるのではなく、「住まいの『生』」というものがあり、「人の『生』」と「住まいの『生』」の間にあるのは「共に生きている」という関係性なのだ、ということに気づかされたのです。

 

 確かにそれまで私は患者や利用者と関わる中で、その方が生きる環境の「その後」については考えたことがありませんでした。住む人がいなくなった後の住まいはどうなるのだろうか。そう「空き家」になってしまうのです。

 

 このようにして地域の中で住む人を失った「空き家」が増えてくるということは、その地域の人口が減少していくことを意味します。長く「空き家」になってしまった土地や建物は、建物自体の劣化も早く、土地も出入りが困難なまでに荒れてしまうことがほとんどです。そのような場所に新たに入ってくる人はなかなかいません。「生きること」を終えてしまった建物、住まいは、人と共に生きることが難しくなるからです

 

 居住者がいなくなった土地建物がそのままにされる要因としては、法的な問題も含まれています。税法上、建物が建っている土地と解体して更地になった土地とでは、更地の方が税金が高くなってしまいます。また建物の解体についても解体費用は決して安いものではありません。高い解体費用を支払って、高い税金を払わなくてはならないのであればそのままにしておかれるのも無理はありません。土地の売買についても、所有名義人の同意など書類上の手続きが非常に煩雑であるということも一因でしょう。

 そのような制度上の問題などもあり、地方では空き家が年々増えている現状にあります。

 

 

2.人口減少の対策として考えられること。

 

 住む人を失った住まいまでもが終わりを迎えないためには、その住まいに新たに人が入る必要があります。

 古民家再生に代表されるように、住まう人が無くなった建物に新たな人が入り受け継がれていくという話は最近よく耳にするようになった話です。「住み継ぐ」という考え方になると思いますが、リノベーションなどを行い、次の世代が住みやすい環境へと整えられて受け継がれていく。それが住まいが生き続ける方法であると言えます。住まいは「再生」して再び「生きる」ことができるのです

 

 問題は、その「新たに住まう人」をどのようにして生み出すか、ということになります。空き家が増え続けるその背景には、「人の流れ」を止めている原因があるはずなのです。

 

 再び私の仕事での経験上の話になりますが、高齢者世帯の居住者が住まいを離れるとき、離れて暮らす家族の誰かがその家に戻ってくる、という話はあまり聞いたことがありません。新たな地で家庭を築いた方々が親の後を継いで元の住まいに戻ってくるということは、あったとしてもごく稀なことなのだと思います。公共交通機関が十分とは言えず、自家用車がなければ買い物に行くなど日常生活圏の移動に不便で、娯楽も公的機関も極めて少ない地域に、都市部から喜んで転居してくる方は、余程その地でやりたいことなど目的がある方であったりと、ごく稀であると言えるでしょう。

 先に述べた近年の古民家再生ブームや、スローライフの流れとして地方での生活を始める方が増えてきているということも耳にしますが、都市部から地方への移住というのはごくごく一部に限られているということが現状なのではないでしょうか。

 

 地方での人口減少も問題となっていますが、この人口減少に歯止めをかけるには、やはり若い世代の流入を促し、逆に流出を防がなくてはなりません。ですので、地域として若い世代を引き付ける「魅力」がなければならないと思うのです。

 

 若い世代の人々が不自由を感じることなく生活するには何が必要なのか。インターネットが普及し様々な情報や物を自宅に居ながら簡単に取り寄せることができるようになった現代において、生活の拠点として「魅力」になるものとは何でしょうか。

 その土地自体の持つ雰囲気や気候もあるかもしれません。公共施設やインフラの整備状態も重要なのかもしれません。人の集まる都市部にあって、人の減っている地方にないもの。今現在、人々は何を求めて都市部へと向かっているのか。

 

 逆説的かもしれませんが、人が集まるために必要な物は「人」そのものなのだと思います。先にも述べた通り情報化社会になり、様々なモノをいつでもどこでも手に入れることができるようになりました。しかし、真の意味での人のつながりは人のいる場所でしか生まれません。このような情報化社会においても、人は、その目的は千差万別であるにしても、本能的に人とのつながりを求めて人の集まりの中に向かっていくのではないかと思います。人とつながることで生まれると期待される、刺激やチャンス、あるいは楽しみや安らぎ、そういったものに「魅力」を感じて、人の流れは生まれているのかもしれません

 

 そのように考えると、昨今の空き家問題を解決するためには、「人の流れを生み出すための人を集める」ことが必要なのかもしれません。

 その土地土地で何かしら中心になるものを掲げ、まずはそれに賛同する人、協力する人を集めます。どんな形でもいいと思います。とにかくまずは同じ意思を持った人を集めて「コミュニティ」と呼べるまで成長させ、人の流れを生み出すことが始まりなのではないかと考えます。

 これは当然、行政が主導で動かなければならないところも多くありますし、多くの時間とお金がかかるものになります。しかし、やるだけの価値は十分にあり、地方の抱える空き家問題や人口減少を解決する方策になっていくと思っています。

 

 

 このようなことを考えている人は、実際世の中に数多くいるのだと考えています。実際にそのような取り組みを行い、再生を果たしている地域もあると思います。(勉強不足です。すみません。)しかし、それができていない地域があり、現実問題となっているのもまた事実なのです。

 

 なぜできないのか、何が問題となっているのか。そのことについても今後学んでいきたいと思うところです。