理学療法士が建築家を目指してみた

「理学療法士」兼「介護支援専門員」の30代後半の医療介護福祉従事者が、「建築家」を目指し一念発起。住まいや環境などについて考えたことや、自分自身の考え方などを発信していくブログにしていこうと考えています。医療介護福祉関係の方、建築関係の方問わず、様々な意見を頂ければ幸いです。また、30代後半からの転職を考えている方にも何か参考になることがあればと思います。

「転職」という人生の転機を迎える選択をしたこと

 日々の暮らしは、常に様々な小さい選択を行うことの繰り返しによって成り立っていると言われています。「今日」という一日をとっても、例えば朝起きて朝食はパンにするかご飯にするか、パンならトーストにするか菓子パンにするか、コーヒーを飲むかスープを飲むか。何気なく行っている毎日の営みは選択の連続です。

 

 そのような中にあって、いわゆる「人生の転機」と呼ばれる、人生を変えるような大きな選択をする場面に出くわすことがあります。就職や結婚もその一つと言えるのだと思います。人によっては過去を振り返り「今思えばあの時が人生の転機だったのかも」と認識する方もいるでしょうし、これから先の未来に人生の転機を迎える予感を感じる人もいるかもしれません。

 

 私は現在進行形で「転職」という「人生の転機」を迎える選択をしているわけですが、それにあたって考えていることなどについて書いてみようと思います。

 

・選択することについて

・先の不安に対して

・自己への評価について

 

 

1.選択することについて

 

 先にも述べた通り人生は選択の連続であり、数多くの選択をしてきた結果、現在の自分自身があると言えます。

 

 私の今までの傾向として、重要なことを決断するのに「考えすぎる」ことが多くありました。選ぶ前に色々あれこれ悩みすぎてスタートが出遅れてしまったことに加えて、選ぶ前に考え過ぎたがために今度は意地になり選んでから引くことができなくなってしまっている、という状態です。

 そのような時は大体が上手くいかず後悔ばかりしていました。また、最初に一度選んでいた方からあれこれ考えるうちにやっぱり別な方に変えてしまった時も、最初に選んだ方にしとけば良かった、ということがほとんどです。

 逆に、直感的に即決してきたことについてはほぼほぼ上手くいっていることが多いのです。直感という感覚はなかなか上手く表現することが難しいもので、人それぞれ感じ方は様々だと思いますが、私の場合は、自分自身が自然の流れの中に身を投じていて、「こっちに行きたい」という心地よい方向に向かう気持ちを私は直感として捉えています。

 

 細かいところで言えば、マーク式の試験などもそうです。選択肢を迷って時間をかけてしまった問題や、後の見直しで選びなおした問題については大体が不正解であり、一発で選んだものについてはほとんど正解しているというような感じです。

 

 それらのことも踏まえて過去の経験からここ数年私が決めていたことは、重要な場面での選択はまず直感を信じる、ということです。

 今回建築家への方向転換を決めたときも、「今方向転換したら、必ず面白いことのできる人間になれる」という直感からでした。

  

 ですのでこれからも、

 

選択を迫られる場面においては、何よりもまず自分の心に従って即行動する

 

ことにしていこうと考えています。

 

 早く動き出せば、たとえその選択が上手くいかなかったとしてもやり直しがききやすいですし、 何が上手くいかない理由なのかを把握することもより簡単になりますので。 

 

 

2.先の不安に対して

 

 「転職」に臨むにあたり、単身での移住による家族と離れた生活が始まるなど、今後生活が一変するために毎日の生活に不安を抱えてしまう可能性があります。しかし毎日の不安に囚われていては、成すべきことを成すことができません。

 

 以前親友にこういう例え話をしてもらったことがあります。(親友については以前の記事を参照)

 (↓建築家を目指すきっかけとなった親友が出てくる話。)

ms-trss.hatenablog.com

 

「真っ暗な海の上で、小さい船に一人で乗っている。

 

 何も見えず怖いので、手元を灯りで照らしてみる。

 

 すると身の回りが明るくなり、その場の不安は幾分か和らぐことができる。

 

 しかし、

 

 手元を照らす灯りは、遠くの島の街の灯りを見えなくする。

 

 今から目指すべき島のある場所を見えなくしてしまう。」

 

 イメージができますでしょうか?

 今現在の不安に囚われて、その不安を解消するためのその場しのぎの灯りを灯していても、本来自分が目指すべき方向を見失ってしまうということです。

 

 確かに、生活や家族のことに対する不安がないと言えば嘘になります。

 しかしながら、その不安や心配ばかりを気にしていては何も始まらない。出すべき一歩目の足を踏む出すことができないのです。

 

 不安の中でこそ見えてくるものはあると思いますし、生まれてくるものもあると思います。逆に言うと、不安や心配の中で見つけられたものこそが本当に必要なものであり、人生における鍵となることなのだと感じています。

 

 不安があることは、悪いことではない。

 むしろそこに重要なことが見つかるチャンスが眠っている 。

 不安を嫌い、目を背けるのではなく、反対に歓迎できるようなポジティブな心で臨むことですべてのことは好転していくのだと思っています。

 

 だって、それを決めるのは全部自分自身の心なので。

 

 

3.自己への評価について

 

 先に述べた「選択」や「不安への対処」は、頭で考えるだけではなく実践して初めて結果につながるものです。

 

 直感を信じて選択し、不安をチャンスとして迎え入れる。

 

 それには、「できる」という自分自身に対する信頼、「自信」が必要になると思います。

 自信を持つためには自己への評価を高く持っていなければなりませんが、皆さんはこの自己への評価、どのように感じているでしょうか。

 

  私の父は地方銀行の支店長として勤めたことのある人間ですが、その父が「自己評価」についてこういう話をしてくれたことがあります。

 

「毎年、人事考課の時に行員に自己評価を出してもらうが、自己評価を低くつけてくる人間がいる。

 本人からすれば『自分はそんなにできる人間ではないです』という謙遜の気持ちから自己評価を低くしているのかもしれないが、他者からすれば、そんなことは関係ない。

 自己評価が低いということは、『本当はまだできるけど、この程度しかやっていないです』と言っていることと同じ。

 仕事に対して真摯に取り組んでいれば、結果が十分でなくても自己への評価は高いはずだ。」

 

ということです。

 

 これは自分自身のことについても同じであると思います。自己評価そのものは他の誰が評価するものでもないので、自分自身が「自分はこの程度の人間だ」と低く評価してしまえば、その程度にしかならないのです。

 逆に言えば、自分自身が「できる」と思い自己を高く評価することによって、結果的にそのような人間になっていくのだと思います。そして、その経験を通して自分への自信は生まれてくるのだと思います。

 

 

 私自身も、自己への評価は高く持つようにしています。

 「自分には、あれはできない。これも難しい。」と考えるよりも、「あれもできる。これも簡単だ」と思う方が、行動の幅も広がりますし、第一歩目を踏み出しやすくなるからです。

 

 自分自身のためにも、自己評価は高く持つことをお勧めします。