理学療法士が建築家を目指してみた

「理学療法士」兼「介護支援専門員」の30代後半の医療介護福祉従事者が、「建築家」を目指し一念発起。住まいや環境などについて考えたことや、自分自身の考え方などを発信していくブログにしていこうと考えています。医療介護福祉関係の方、建築関係の方問わず、様々な意見を頂ければ幸いです。また、30代後半からの転職を考えている方にも何か参考になることがあればと思います。

還元型の社会について考える

 以前、私が鹿児島市内の病院に勤めてていた時に論文にした一つの構想に「還元型リハビリテーションというものがあります。(鹿児島リハビリテーション医学研究会会誌・平成24年8月・第23巻1号)

 今回はこのことについて書いてみようと思います。

 

・「還元型リハビリテーション」とは何か。

・この構想を、どうしていきたいか。

 

 

1.「還元型リハビリテーション」とは何か。

 

 一般的にリハビリテーションは障害などを抱えた方が運動療法などを通して身体機能を改善することを目的として行われます。元々「リハビリテーション」という言葉の持つ意味は、「全人的復権」、つまり一度障害を抱えた人が身体的にも精神的にも社会的にも復帰することにあります。

 リハビリテーションを通して行われる身体活動や精神活動は、それを行う者の心身機能改善という結果を得るために行われ、そのことによって最終的には「その人」の生活の質(Quality Of Life:QOLを高めることを目標とするのです。

 

 ここで私が考えたことは、リハビリテーションを通して行われる身体活動や精神活動のエネルギーを、ただ「心身機能の改善」という部分にのみフォーカスして行い個人の範囲に帰結させるのではなく、何かしらの「生産性」を与えて周囲に還元するという環境を作るのはどうだろうか、ということです。

 リハビリテーションを通して自己の心身機能が改善するだけでなく、自分の行ったアクションが何かしらの形で周囲の環境に還元される、という達成感がまたモチベーションにつながり、あるいは社会貢献という形で自己肯定につながることが期待できます。

 「リハビリテーションを通した『QOL(生活の質)の向上』」という抽象的で漠然とした概念に、「社会への還元」という明確な意味付けを行うことができる構想であり、革新的な考えになると考えていたのですが、論文投稿当時それ以降に続くものを打ち出すことができず広げることが叶わなかったものです。

 

 ちなみにこの論文では、リハビリテーションで使用するエアロバイクについて、当時勤めていた病院でのある期間での使用量から、発電機を装着した場合の発電量を計算し、それがどの程度の発電量が得られ、売電したらいくらくらいになるのか、といったことを例示として挙げています。

 ここで私は運動エネルギーを電気エネルギーに変換し社会活動に還元する(この時この構想のことを、エコロジーとリハビリの融合、「エコリハ」だ!とか言ってます)ことを示したわけですが、決して電気エネルギーだけが対象となるわけではありません。

 動作レベルの高い方であれば農生産活動をリハビリテーションの一部として実施して生産物を得る方法もあると思いますし、細工などの軽作業が可能な方は上肢の機能訓練の一環として革細工や木工細工の作成などを通して作品を生産する方法などもあります。また、地域とのコミュニケーションとして近隣施設との交流を通して精神活動を還元する方法もあります。高齢者施設と幼児施設が併設した幼老複合施設などがこの一つの例になると思われます。

 

 

2.この構想を、どうしていきたいか。

 

 このような取り組みは、リハビリテーション分野だけにとどまるわけではありません。スポーツジムなどがトレーニング機器に発電機を付けて発電量に応じてキャッシュバックを行うという取り組みを行っているということも聞いたことがあります。

 様々な方法で人の行動や活動を社会に還元することはできると考えられますが、実際にそれぞれの事業所単位で行うとなると問題になってくるのがコストや費用対効果になるのだと思います。

 

 先にも述べた通り人間の行動や活動に「生産性」を持たせ、付加価値をつけて「社会に還元」するいうことは非常に有効な手段であるにもかかわらず、広がらないのはこのコストの問題が大きいと考えられます。

 

 そのような中で、これがある特定の「事業所の取り組み」ではなく「社会での取り組み」として多くの人に認知されるとどうなるでしょうか。多くの人にこの考えを知ってもらい、興味を持たれたり賛同される方々の様々な意見や提案、発想が加わることでこの取り組みそのものの価値が高まる可能性があります。そうなると「市場での需要」が生まれ、企業や研究機関での開発が進むことになり技術の向上に伴うコストの低下、費用対効果の向上が起こり、この問題は解決できると予測されます。そうすることで一般社会への普及へとつながっていくことが期待できるのです。

 

 日常生活のあらゆる場面で、自分の行動や活動がその本来の目的とは別にたとえ「おまけ程度」であっても付加価値を持って「社会に還元」されていく。そのような社会になる「環境」を作り上げていくことが、私の目標とするいくつかの大きな課題の中の一つなのです。

 AIの発達により、今後様々な仕事が人から機械に代わっていく時代が近づいているといわれています。そのため「人が行う意味」であったり、「人が行う価値」というものが改めて見直され、その意味や価値を示すことが一つの判断材料として重要視されるようになっていくのだと思います。逆を言えば、これからの時代は、人の行動や活動に「意味」や「価値」がないと判断されれば、それ自体が社会から淘汰される存在になってしまう危険性を孕んでいるとも言えるのです。

 そのような背景から考えても、もしこの目標を達成することができたならば、社会を変えることができると私は考えています。「環境」によって「人が行動や活動をするきっかけ」を新たに生み出し、人の行動や活動に「意味」や「価値」を与えることになる可能性があるからです。

 現時点ではその目標を成し遂げるための方法や手段が全く見当がつかない状態なのですが、そのようなことを考え続けていき、何年、何十年かかってもいいので目指してみようと思っています。

 

 そのために、まずはこの考えを社会に広げる必要があります。私一人の知恵や行動力だけでこの考えを形にしていくことはできないものであることは分かっているので。

 7年前、この論文を出したときにはそれができずにいました。できなかったのではなく、やらなかったのです。ただ論文という形で世に出しただけで、それ以外のどのような形であれ、もっと多くの人に「発信する」ということをしなかったことが問題であったと認識しています。ですので、今回このような形で発信させていただきました。

 このブログを読んでいただいた方でこの考えに興味がある方や面白いと思っていただいた方には是非拡散してもらいたいと思っています。多くの人に知っていただき、いつか社会を変えるきっかけになるように。

 

※もし私の上記論文に興味があるという方がいらっしゃれば koku83@yahoo.co.jp までご連絡ください。

人生の最期をどこで迎えたいのか?

 理学療法士として十数年病院勤務をする中で、人の最期に向かう機会が多々ありました。鹿児島のような地方都市、特に指宿市ともなると65歳以上の高齢化率が35.2%(2015年、全国平均26.6%)という全国の2025年問題で想定される人口比率を先取りしたような地域であるため、入院患者の年齢層も必然的に高くなり、80代、90代といった入院患者を担当することが多くなります。

 今回は、私が病院で最期を迎えられた患者との関わりを通して感じたことを書いてみようと思います。

 

 

 病院で理学療法士として患者と関わるとき、リハビリは一般的に一対一、20分単位で行うので、合間合間で患者と色々話をすることがあります。もちろん,リハビリの内容の説明をしたり運動に集中してもらうこともあるのですが、日常生活上の動作であったり活動を行う際に困っていることなど、その人の普段の生活に一歩踏み込んで話を聞き、何に困っているのか、どのようなニーズを抱えているのか、それに対してどうアプローチをしていくのかを考えて、生活機能の向上、果ては生活の質の向上を目指していく、というコミュニケーションをとっていくことになります。(あくまで私のリハビリのスタイルです。療法士の中にはコミュニケーション以外の違う方法でアプローチを考える方もいらっしゃるので、皆がそうではないですし、私のやり方が正しいやり方というわけでもありません。)

 その「生活に一歩踏み込む」というプロセスを通して患者との信頼関係を築き、その人がどのような価値観や生活感をもって生きているのかを理解していく中で、『どのような最期を迎えたいと考えているのか』ということに直面することもあります。リハビリの仕事では運動機能、生活機能の向上と「生」を考えることが主になるため直接的に「死」を考える機会自体は少ないのですが。

 

 疾病や障害を抱えて生きていく中で、この人はどのように最期へと向かっていくのだろうか。本人が望む最期を迎えられるようにするためには、身体機能としてどの程度の能力が必要なのか、そして療法士として、一医療人としてどのような関わりが必要なのか。病院で最期を迎えることになるこの人は、どのような気持ちで今を生きているのだろうか。そのようなことを考えることがしばしばあります。

 

 最期について問うた時、多くの患者、利用者が口にするのは、「やっぱり我が家が一番いい」、「人生の最期は自宅で迎えたい」ということです。何十年と暮らしてきた「住まい」はその人の一部であり、その家、その土地、その場所に対する想いは並々ならぬものがあるのでしょう。

 

 実際に私の担当する高齢者で、90歳を超えて一人暮らしをされている方がいらっしゃいました。遠方に住む家族が高齢になった母親が一人での在宅生活を心配する中で、どうしても自宅での生活を望まれる理由を尋ねた時に、その方はこうおっしゃったのです。

 「ここはみんなが帰ってくる場所なの。私がここにいないと、みんなが帰ってくる場所がなくなるでしょう?だから私がここを守っていないといけないの。」

 その人にとって「我が家」は、ただの住まいとしてだけではなく、離れて暮らす家族を結び付けるツールとしての役割も持っていたのです。

 

 私の祖母は徳之島に住んでいました。93歳で癌が発覚し入院するまでサトウキビ畑で仕事をするような人でした。かなり進行していた病気に対して徳之島では医療設備の関係から手術を行えないということで、奄美大島の病院に入院となり手術を受けました。手術を受けた祖母がまず希望するのは「家に帰りたい」ということ。術後すぐ歩く練習をはじめ、医師に何とか許可をもらい、術後数週間ののちに自分の足で船に乗り、徳之島の我が家に帰りました。我が家に戻った翌日家族に見守られて息を引き取りましたが、本人は幸せだっただろうと思いますし、我々家族も良かったと感じています。

 

 このような担当した高齢者との出逢いや祖母の経験があるからこそ、私自身としては「自宅で最期を迎えたい」という方と関わることができた時には、可能な限り自宅で最期を迎えられるよう考えていきたいと思うようになったのです。

 

 

 私が今まで関わってきた方々は、何かしらの障害や病気を抱えていたり、高齢で介護が必要であったりという人々が主となります。医療業界で仕事をしていると(私だけかもしれませんが)、高齢になるとほとんどの人がそのように何かしらの医療や介護のサービスを必要とするようになっていくような錯覚をしてしまうことがあるのですが、当然、世の中はそのような人ばかりではありません。

 大きな病気もせず元気に生活をされている人もいますし、高齢になっても介護の手を借りず自分の力、家族の協力のみで天寿を全うされる方も多くいます。むしろ、そういった人の方が割合として多いのかもしれません。そのような人々にとっては、「自宅で最期を迎える」ということはごく自然で当たり前のことなのだと思います。ただ、病気や障害を抱えてしまったり、介護が必要になってしまって自分の思うような生活ができなくなってしまった時に、改めて「自分が最期を過ごす場所」について考える必要性が出てくるのです。

 

 「我が家」に対する想いそのものにも当然個人差があると思います。単純な例として、地方に住む高齢者で長年その場所で暮らしてきたという人と、都市部に住む高齢者で40~50代に購入したマンションで暮らしているという人では、「我が家」に対する感じ方も異なるでしょう。また、戦前戦後を経験された高齢者と、その子供世代の方々など、世代によっても住まいに対する考え方は異なるように感じられます。そのような「我が家」に対する想いの違いは、「最期の時を迎える場所」に対する想いの違いにつながりがあると考えられます。「我が家で最期を迎えたい」と言う人がいるように、「死ぬときにはあの病院であの先生(医者)に診てもらいたい」、「認知症とかにになって手がかかるようになったら施設で看てもらいたい」という人もいます。

 最期を迎える場所に対する想いがそれぞれ異なる背景には家族関係や人間関係、人生観などが複雑に関わっているとも考えられますが、多くはその人の『「我が家」に対する想い』が強く影響しているように思うのです。家族のことを想うが故に我が家を離れる人と、家族のことを想っていても我が家から離れたくない人。その違いは「我が家」に対する想いの違いそのものなのではないかと。

 

 そのように考えると、「人生の最期をどこで迎えるのか」ということを考えていくにあたり、「人」と「住まい」の関係性その人にとって住まいというものが持つ意味を知ることは非常に重要なことであり、逆にそれを知ることで住まいに求められるものに気付くことができるのではないかと思います。

 

 

 あなたは、人生の最期をどこで迎えたいと思っていますか?

「空き家問題」について今思うこと 2019

 地方各地で「空き家」が問題となっているようです。私の住んでいる地域においても放置された空き家が散見され、建物によっては今にも崩れるのではないか、と心配されるようなものもあります。

 今回は地方における「空き家」の問題と、「人口減少」について少し考えていきたいと思います。

 

 

・なぜ空き家は増えるのか?

・人口減少の対策として考えられること。

 

 

1.なぜ空き家は増えるのか?

 

 医療関係の仕事をしている中で「高齢者のみ」という世帯はよく見かけます。私の住んでいる地方では高齢者世帯が多く、子供家族などは離れた都市部で生活をされているケースが少なくありません。そのような世帯に居住される方々が疾患を患い、入院。加齢の影響もあり身体機能の低下だけでなく、認知機能の低下、いわゆる認知症も相まって、介護者のいない在宅への復帰が困難となり施設入居せざるを得ない例や、不幸にも亡くなられてしまう例など、入院などを契機に居住者が不在になってしまうケースは多くあるパターンだと思います。

 

 医療介護福祉の仕事は基本的に「人」に相対する仕事であるため、対象となる「人」を中心とした人間関係を主にフォローしていくことになります。そのため、その人が住んでいた「住まい」や「環境」について、その人が生きて生活をしている間には一つの鍵として考えることになりますが、その人が、その住まいを離れてしまったときには、どうしてもその建物としての「住まい」は関わり合いの中で考える対象から外れてしまうのです。

 私がそのことについて感じることになったのは、とある席にて空き家問題に取り組んでいらっしゃる方と出逢ったことがきっかけです。その方に

 

「人の終わりと住まいの終わりは違います。人が亡くなられても、建物としての住まいは残り続けます。残された建物がそこに住む人の終わりと同時に見放されることで、その建物の資産としての価値も下がってしまい、住まいとしても終わりを迎えてしまうことが問題なのです」

 

という話をしていただきました。

 「人」と「住まい」は密につながっているが、同一ではない。「人の『生』」の中に環境としての「住まい」があるのではなく、「住まいの『生』」というものがあり、「人の『生』」と「住まいの『生』」の間にあるのは「共に生きている」という関係性なのだ、ということに気づかされたのです。

 

 確かにそれまで私は患者や利用者と関わる中で、その方が生きる環境の「その後」については考えたことがありませんでした。住む人がいなくなった後の住まいはどうなるのだろうか。そう「空き家」になってしまうのです。

 

 このようにして地域の中で住む人を失った「空き家」が増えてくるということは、その地域の人口が減少していくことを意味します。長く「空き家」になってしまった土地や建物は、建物自体の劣化も早く、土地も出入りが困難なまでに荒れてしまうことがほとんどです。そのような場所に新たに入ってくる人はなかなかいません。「生きること」を終えてしまった建物、住まいは、人と共に生きることが難しくなるからです

 

 居住者がいなくなった土地建物がそのままにされる要因としては、法的な問題も含まれています。税法上、建物が建っている土地と解体して更地になった土地とでは、更地の方が税金が高くなってしまいます。また建物の解体についても解体費用は決して安いものではありません。高い解体費用を支払って、高い税金を払わなくてはならないのであればそのままにしておかれるのも無理はありません。土地の売買についても、所有名義人の同意など書類上の手続きが非常に煩雑であるということも一因でしょう。

 そのような制度上の問題などもあり、地方では空き家が年々増えている現状にあります。

 

 

2.人口減少の対策として考えられること。

 

 住む人を失った住まいまでもが終わりを迎えないためには、その住まいに新たに人が入る必要があります。

 古民家再生に代表されるように、住まう人が無くなった建物に新たな人が入り受け継がれていくという話は最近よく耳にするようになった話です。「住み継ぐ」という考え方になると思いますが、リノベーションなどを行い、次の世代が住みやすい環境へと整えられて受け継がれていく。それが住まいが生き続ける方法であると言えます。住まいは「再生」して再び「生きる」ことができるのです

 

 問題は、その「新たに住まう人」をどのようにして生み出すか、ということになります。空き家が増え続けるその背景には、「人の流れ」を止めている原因があるはずなのです。

 

 再び私の仕事での経験上の話になりますが、高齢者世帯の居住者が住まいを離れるとき、離れて暮らす家族の誰かがその家に戻ってくる、という話はあまり聞いたことがありません。新たな地で家庭を築いた方々が親の後を継いで元の住まいに戻ってくるということは、あったとしてもごく稀なことなのだと思います。公共交通機関が十分とは言えず、自家用車がなければ買い物に行くなど日常生活圏の移動に不便で、娯楽も公的機関も極めて少ない地域に、都市部から喜んで転居してくる方は、余程その地でやりたいことなど目的がある方であったりと、ごく稀であると言えるでしょう。

 先に述べた近年の古民家再生ブームや、スローライフの流れとして地方での生活を始める方が増えてきているということも耳にしますが、都市部から地方への移住というのはごくごく一部に限られているということが現状なのではないでしょうか。

 

 地方での人口減少も問題となっていますが、この人口減少に歯止めをかけるには、やはり若い世代の流入を促し、逆に流出を防がなくてはなりません。ですので、地域として若い世代を引き付ける「魅力」がなければならないと思うのです。

 

 若い世代の人々が不自由を感じることなく生活するには何が必要なのか。インターネットが普及し様々な情報や物を自宅に居ながら簡単に取り寄せることができるようになった現代において、生活の拠点として「魅力」になるものとは何でしょうか。

 その土地自体の持つ雰囲気や気候もあるかもしれません。公共施設やインフラの整備状態も重要なのかもしれません。人の集まる都市部にあって、人の減っている地方にないもの。今現在、人々は何を求めて都市部へと向かっているのか。

 

 逆説的かもしれませんが、人が集まるために必要な物は「人」そのものなのだと思います。先にも述べた通り情報化社会になり、様々なモノをいつでもどこでも手に入れることができるようになりました。しかし、真の意味での人のつながりは人のいる場所でしか生まれません。このような情報化社会においても、人は、その目的は千差万別であるにしても、本能的に人とのつながりを求めて人の集まりの中に向かっていくのではないかと思います。人とつながることで生まれると期待される、刺激やチャンス、あるいは楽しみや安らぎ、そういったものに「魅力」を感じて、人の流れは生まれているのかもしれません

 

 そのように考えると、昨今の空き家問題を解決するためには、「人の流れを生み出すための人を集める」ことが必要なのかもしれません。

 その土地土地で何かしら中心になるものを掲げ、まずはそれに賛同する人、協力する人を集めます。どんな形でもいいと思います。とにかくまずは同じ意思を持った人を集めて「コミュニティ」と呼べるまで成長させ、人の流れを生み出すことが始まりなのではないかと考えます。

 これは当然、行政が主導で動かなければならないところも多くありますし、多くの時間とお金がかかるものになります。しかし、やるだけの価値は十分にあり、地方の抱える空き家問題や人口減少を解決する方策になっていくと思っています。

 

 

 このようなことを考えている人は、実際世の中に数多くいるのだと考えています。実際にそのような取り組みを行い、再生を果たしている地域もあると思います。(勉強不足です。すみません。)しかし、それができていない地域があり、現実問題となっているのもまた事実なのです。

 

 なぜできないのか、何が問題となっているのか。そのことについても今後学んでいきたいと思うところです。

自己紹介です。

※2022年4月12日更新

 

私のブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

はじめまして。

國生 満(こくしょう みつる)

と、申します。

 

私のこと(2022年4月現在)について書かせていただこうと思います。

 

 

生誕

昭和58年(1983年)、鹿児島県鹿児島市にて生まれる。

生誕以後、今回の大阪転居に至るまで30数年鹿児島県内にて過ごす。

 

 

経歴

 平成14年 鹿児島県立鶴丸高等学校 卒業

      ~ 一年浪人生活 ~

 平成15年 鹿児島大学医学部保健学科理学療法学専攻 入学

 平成19年 理学療法士免許 取得

      鹿児島大学大学院保健学研究科博士前期課程 入学

      鹿児島市内の病院に勤務

 平成21年 大学院前期課程 修了

 

 平成24年 指宿市内の病院に勤務

 平成30年 介護支援専門員の資格を取得

      理学療法士 兼 介護支援専門員 として勤務

 平成31年 介護支援専門員 専従として勤務

 令和2年  大阪工業技術専門学校 建築II部(夜間) 入学

      大阪府内の病院で理学療法士として勤務しながら夜間通学の生活

      宅地建物取引士の資格を取得

  令和3年 CAD利用技術者試験2次元2級の資格を取得

      2級建築施工管理技術検定(学科のみ)に合格

      アーク溶接作業特別教育を修了

      日商簿記3級の資格を取得

      福祉住環境コーディネーター2級の資格を取得

      CAD利用技術者試験2次元1級(建築)の資格を取得

      インテリアデザイナーの資格を取得

  令和4年 鹿児島県内のハウスメーカーに就職  ←今ここ

 

 家庭

 妻 と 子供3人(6歳、4歳、2歳)

  +犬(ミニチュアダックス

  +鳥(文鳥

  +猫 ←NEW!!

の 5人+3 の家族。

 令和2年4月より通学のため大阪へ2年間単身赴任の生活をしていましたが、令和4年3月に卒業及び就職にあたり鹿児島へ戻ってまいりました。

 

 

 理学療法士及び介護支援専門員として、医療介護福祉の業界で仕事をしてきた私ですが、現在までの経験を活かして建築という新たな分野で自分にできることはないか?ということを模索していこうと考えています。

 

 

 私が建築関係への転職を考えた理由などについては以下の記事をご参照ください。

ms-trss.hatenablog.com

 

私の転職に臨むビジョン

 前回の記事で挙げました、私自身の転職に臨むビジョンについて書いてみようと思います。ただ、これは2019年10月、専門学校を受験しこれから建築家を目指していく初期段階でのビジョンであり、今後色々なことを学び、様々な人や物との出逢いを経験することによって変わる可能性のあるものなので、あくまで「転職に臨む前の今の気持ち」くらいで読んでいただければと思います。

 

・5年後、10年後、20年後といった期間ごとの見通しとそれを達成するための目標。

・自分の目指すところに「世間からの需要」や「商機」はあるか。

・「自分自身」の販売戦略。

 

※前回の記事はこちら↓

ms-trss.hatenablog.com

 

 

 

1.5年後、10年後、20年後といった期間ごとの見通しとそれを達成するための目標。

 

 私が医療介護福祉の業界から建築業界へ転職をするにあたり、まず考えた明確な目標は建築士免許の取得」になります。

 現在の仕事での経験や知識などを踏まえたうえで、『将来的にこういうことをしてみたい』というおおまかな目標もあるのですが、そのような漠然とした目標は、達成を目指していくのには曖昧過ぎて不適切なものになります。

 曖昧な目標では進捗状況の確認が難しくなります。目標達成に向け「どのくらい進んでいるのか?」ということを知ることで、目標達成のために必要な事項の整理をして効率化が望めたり、目標達成に至らない原因の洗い出しができて適切な対策が取れるようになります。

 私の場合、性格的に何がどの程度進んでいるのか確認できない状態が続いてしまうとモチベーションの維持が難しくなってしまう傾向があるので、より具体的で達成未達成がはっきりしやすい目標を立てるようにしています。

 

 それを踏まえて、まずは「建築士免許の取得」を目指していくことになるわけですが、2019年現在36歳の私が来年から学校に通うとして、今後の目標と見通しは、

 

2020年 37歳  専門学校入学

2022年 39歳  二級建築士免許 試験合格

       ⇒ 二級建築士免許取得・設計の仕事で経験を積む

2028年 45歳 までに 一級建築士免許を取得

 

 

 これから10年後には一級建築士として建築設計の仕事に携わり、 65歳が定年退職の年齢であるとすると、定年退職までに一級建築士として20年以上の経験を積むという目標を立てることができます。

 そしてさらに順調に目標が達成できていれば、それ以降は個人の設計事務所を立ち上げるなど新たな目標へとつなげていける可能性があります。

 

 このように期間を決めた見通しと、近いものにはより具体的な目標を定めることで段階的にクリアしていけるように計画していこうと考えています。

 

 

2.自分の目指すところに「世間からの需要」や「商機」はあるか。

 

 私はこれから建築士を目指していくわけですが、卒後十数年、私が他の業界で仕事をしている間に建築業界で仕事をし、実績を積み、活躍されている同年代の建築士の方はたくさんいるのです。

 今からそのような人たちと全く同じところを目指していても、当然自分自身に「価値」を付けることはできないと思っています。

 

 私は理学療法士と介護支援専門員という仕事を通して、障害を持つ方や高齢者などの生活を医学的な側面、福祉的な側面からとらえることをしてきました。

 障害を持つ方が日常生活においてどのような動作を行うのか。高齢者が加齢に伴う身体機能、精神機能の変化の中でどのような暮らしをしているのか。また、それを支える周りの人たちがどのように考え、どのような悩みを抱えているのか。

 そのリアルな現場での知識や経験を持った上で、「その人」たちが生活する環境を考えていくことができるのは一つの大きな強みであると考えています。

 

 今後2025年問題など高齢化社会がますます進む中で医療介護福祉に求められるものが大きく変わってきているように、住宅事情や建築業界に求められるものも大きく変わっていくのかもしれません

 その中では、医療介護福祉と建築の両方の視点を持った人材が必要とされる時が必ず来ると私は考えているのです。私が目指していくところの需要は、これからの時代、増える可能性がある。

 そこに商機(ビジネスチャンス)はある

そう思いたいのです(願望)。

 

 そのような需要を見つけ出し、自分自身の強みを生かしていくことが自分自身に「価値」を付けていくことになるのだと思います。

 

 私は、「人」に対して、医師が医学的な処方をしてアプローチを行う存在であるように、建築士建築学的な処方をしてアプローチを行う存在であると思っています。

 以前ある医師に教えてもらった言葉に、

 

『「病気」を診るのではなく「人」を診ることのできる医療者になりなさい』

 

というものがあります。

 その言葉を第一として今現在も仕事をしていますが、今後、建築士になったとしても同じように、住まう「人」をみて、仕事ができる建築士を目指していこうと考えています。

 

 

3.「自分自身」の販売戦略。

 

 自分自身の強みを生かし「価値」を付けていきたいと思うわけですが、その「価値」を付けた自分をどのようにして「販売」していくのか、ということも重要になってきます。

 

『私、こんなこと考えてますよ!』

『私、こんな知識や経験持ってますよー!』

 

っていう情報をできるだけ多くの人に知ってもらい、どこかで

 

『そういえばこんなこと言ってた人がいたな』

 

という話が上がってくれることが、「価値を付けた自分」を生かす第一歩になると思います。

 

 「セルフマーケティング「セルフブランディングという言葉を聞いたことがあるかもしれません。

 市場の需要を把握した上で、その需要にマッチする分野を伸ばすなどして『製品価値』を高め、他との差別化を図り、宣伝して売り出す、ということを、自己に当てはめて行うことを言うようです。

 

 私も、40歳で一からスタートするとしたときに、何かしらの販売戦略を持ってして臨まなければならないと考えました。

 その中で色々と思案しているときに先述のセルフマーケティングという言葉と出合ったのですが、その時に今の世の中、目の前にインターネットという便利なツールがあるではないか!ということに気づいたのです。

 今回私がブログを開始するに至った一つの理由はここにあります。

 自身の考えを広く発信するにはもってこいのツールであり、利用の仕方によっては大きな武器になると判断したため、販売戦略の一手段としてブログ開設を決断したのです。ただ、文章力などにはかなり不安がありますが…。

 

  しかしながら、ブログやSNSなどインターネットを利用したプロモーションだけでは、私自身の幾分かしかを知らせることはできないと思います。

 地域医療の現場では各施設間での「顔の見える関係」というものが重視されてきています。人はやはり顔を合わせて話をする、名前を聞いたら頭にその人の顔が浮かぶ、という関係が重要というのは何も地域医療の現場に限った話ではないです。

 

 これから新たな分野で新たな人々との出逢いを通して、自分自身を知ってもらう機会を獲得していきたいと思います。

転職 と 現実(2・リカレントについて)

 転職をするにあたって、「学び直し」が必要になることがあります。私の場合においても一から建築について学び、建築士の資格を取得するために再び学校へ通うことになるわけですが、このように社会に出た人が職に就きながら、あるいは一度職から離れて再度学び直しを行うことを「リカレント」と呼び、キャリアアップやスキルアップなどを目指す取り組みとして近年注目されているようです。

 

・リカレント と 転職

・結局は「自分次第」

 

 

1.リカレント と 転職

 

 今回転職を希望するにあたって私自身も「リカレント」の対象となるわけで、専門学校の学校説明会に参加しました。学校紹介ののち、個別相談の時間が設けられたわけですが、卒業後今までと全く違う分野での「就職」ということについて一番に言われた言葉は「厳しいものになる」ということでした。

 

 この「厳しい」には色々な意味があります。一つは収入、生活に関することです。30代後半、40代の人であれば前職においてある程度の給与を得られる地位にいることが考えられるため、転職をして新たな職で一からのスタートになるとほぼ間違いなく給与は下がります。経済的に耐えられるだけの環境や戦略も必要になるため(家族を持っていればなおのこと)「厳しい」と言えます。

 

 さらに、「再就職」の就職先を探すこと自体も「厳しい」ものになります。30代後半~40代の人が転職にあたって直面する大きな問題として、この「再就職そのもの」が避けて通ることはできないと思われます。

 

 志を持って新たな分野に挑戦しようと努力しても、その努力が企業側に必ずプラスに評価されるとは限りません。説明会で進路指導の教員の方がおっしゃっていましたが、本当にこのリカレントは『諸刃の剣』であると言えると思います。

 今までにどんな経験をしてどのような技術を持っているか。それは上手く使うことができれば強力な武器になり、他の人にはない自分自身のセールスポイントになりますが、上手く使うことができなければ言わば無用の長物。それを必要と感じない企業からすればただの「思い出話」に過ぎないものと認識されてしまう可能性もあります。また、余計な「色」のついていない若者の方が扱いやすいから、という理由のために他で社会経験のあるリカレント生が敬遠されることも現実としてあるのだと思います。

 

 日本の従来の雇用制度は終身雇用制であり、一度入った会社で定年まで、エスカレーター式に年功序列で…という概念が、令和の時代になった今でも全く無くなったわけではないと思われます。近年の社会情勢の変化に伴い、雇用形態も多種にわたるようになり、働き方そのものが多様になってきてはいますが、やはり日本人の精神の中には「職人魂」「職人気質」という言葉があるように、長期にわたって一つの仕事を極めていく、ということがある種の「美」として礼賛される面が少なからず見受けられます

 特に技術職の場合はその傾向が顕著に現れるかもしれません。一つの職での経験を何時間、何千時間、何万時間と積み重ねることで技術を磨いていく、そのような職の場合は他での経験よりもその職に少しでも長く就ける若さを重視することがあるかもしれません。とあるWEBサイトで30代後半から技術職への転職を希望されている方が質問をされており、それに対して現職でその仕事をされていると思われる方が「そんな簡単な物じゃない」「この仕事をなめるな」的な回答をされているのをお見受けしました。確かにそうでしょう。今まで何十年と継続し技術を磨いてきたプライドがあるからこそ、自分の仕事に対しての誇りがあるからこその回答であると思います。そのような技術職の集団の中に、他の分野から転職をして飛び込んでいくということが難しいのは明らかなことです。

 

 そのような背景から考えても、転職を考えるときに前職と同系の職を希望するのと、前職とは全く異なる職を希望するのとでも違うとは思いますが、現時点において私自身の考える「転職の実際」というものは「非常に厳しい」ということが現実的なところなのだと思います。

 

 

2.結局は「自分次第」

 

 そのような中でどのようにして自分自身が生き残っていくか、ということですが、極論を言えば「自分次第」ということになってしまいます。

 

 いざ、『自分の好きなことで生きていきたい』と思い立って転職をしようと行動を始めたとしても、そこに具体的な「戦略」がなければただの負け戦になってしまう可能性は極めて高いと考えられます。

 30代後半、家庭を持ってからの大きな転職は、

 「やってみよーぜ! うえーい!」

というノリと勢いではどうにもならないものがあるので慎重にならざるを得ません。

 

 その点において私が転職を決める際に考えたことは、

 

Ⅰ.5年後、10年後、20年後といった期間ごとの見通しとそれを達成するための目標。

Ⅱ.自分の目指すところに「世間からの需要や「商機」はあるか。

Ⅲ.「自分自身」の販売戦略

 

についてです。この件に関してはまた別の記事で詳細を書きたいと思います。

 

 ただやりたいことをやろうという新しい分野、環境に対する憧れや、現状に対する不満…転職を考えるきっかけは人それぞれだと思います。いずれにしても転職によって新たな場所での成功を目指していくのであれば、ある程度の見通しと長期的な目標を立て、それに対する短期的な目標を立てたうえでそれを成し得るかどうか、ということを考えることは必要なのではないかと考えます。

 

 転職をした後にどれだけのことができるか、ということが大切なのは自明の理ですが、リカレントに限ったことではなく、転職に向かうための計画や準備をどれだけ行うか、そしてそれによってどのような結果が得られるかは自分次第になると思うのです。

転職 と 現実(1・生活とお金のこと)

 今回「建築家」への転職を目指すにあたって必要になることは学校に通うことでした。

 建築士の受験資格としては、学校に通わずに得られる方法もありますが7年の実務経験が必要になります。それはちょっと難しい、ということで可能な限り最短年数で資格が取れるよう学校に行くことにしたのですが、この時にも色々と選択肢が出てきたのです。

 

・大学 か 専門学校 か

・昼間 か 夜間 か

・私にとっての 最適 は?

 

どの様にして決めたのかを書いていこうと思います。

 

 

 

1.大学 か 専門学校 か

 

 「建築家を目指そう!」と思い、まず最初に考えたのは大学に再入学することでした。

 私自身かつて鹿児島大学を卒業しており、自宅から通うことができることや、「大卒」となることでのメリットを加味しても同大学の建築学科に再入学または編入学ができればと考えたのです。

 

 そうなった場合、経済的な面で考えるとどうなるか。国公立大学なので比較的安いと言えば安い方なのですが、3年生から編入学して2年間で卒業したとして、入学金と授業料、その他テキスト代などを含めても150万円程。独立生計学生として授業料免除を申請したとしても、確実に免除される保証はないという状態なので、満額かかるつもりでいないといけません。再入学して4年間かかるとすればさらに100万円以上かかります。

 一方、専門学校は2年間で費用はおおよそ100~150万円。学費としてはほとんど変わらないのかな?という印象でした。専門学校によっては公的な給付金制度である「専門実践教育訓練給付金」の対象校があり、学費の50~70%が給付されることもあります。建築士に関しては2019年現在で全国で4校が指定を受けており、鹿児島から一番近いところは大阪の専門学校でした。

 

 大学か専門学校か。学費的な面がそこまで変わらないのであれば、大学を出た方がいいのか。しかし、40歳で資格を取得し、20代の新卒の人たちと何で勝負していくかを考えた時に、「大卒」というものがどこまで意味を持つものなのか?ということがあります。同じ20代新卒であれば、大卒か専門学校卒なのかは一つの勝負どころになるかもしれません。しかし私の場合はそうではありません。このことについてはまた機会がある時に別で記事にします。

 

 金銭的な面でほとんど変わりがないとするならば、自宅から通うことができる大学への編入学が良いのだろうと考えました。

 

 

2.昼間 か 夜間 か

 

 学校へ通うからと言って収入が0になるわけにはいかず、並行して何かしらの労働は必要になります。

 

 大学に編入学するとなれば、今度は昼間学校に行くことになるため夜間アルバイトを行う必要があります。鹿児島で夜間のアルバイトとなれば、好条件のバイトでも頑張って月に10万円そこそこでしょうか。

 夜間の専門学校に通うとすればどうでしょう。理学療法士として日中に正社員で労働を行い、業務終了後に学校に通うことができれば、月々の給与に加え賞与を含めた現在同様の安定した収入を得たまま学校に通うことができます。

 

 大学は先述の通り鹿児島大学に行くと仮定すれば自宅から通うことができますが、専門学校で夜間の学科がある学校となると限定されてしまい、県外の学校に行かなくてはならず転居する必要が出てきます。そうなると転居後の生活のための費用がいくらかかるか…ということも考えなければならなくなってくるのです。

 

 家庭でのことと言えば家事育児を協力することなのですが、昼間学校に通い夜間仕事をしても、昼間仕事をして夜間学校に通っても、どちらであっても今までのようにはできません。夜間専門学校に通うために転居するとしても、家族とともに転居するのか、私が単身で転居するのか、それによっても経済的な負担や生活面の負担は大きく変わってきます。

 

 それらのことを総括し、妻に建築家への転職を話するまでに私の中で考えた結論は

「大学に編入学し授業料免除の申請を行う。昼間学校、夜間にアルバイトをして可能な限り経済的負担を軽減しつつ、必要に応じて奨学金の申請も行う」

ということでした。

 

 

3.「私」にとっての最適は?

  

 さあ、それで妻に話をしたわけですが、やはり一番のポイントは在学中の収入の面になるわけです。

 

 私自身が鹿児島大学への編入学を希望した理由の一つに、「家族と離れたくない」という気持ちがあったことは確かです。夜間の専門学校に通うために転居、ということになる場合、築3年のまだ新築の家を空けて、あるいは人に貸して、家族みんなで引っ越そう!という話にはならないことは分かっていました。

 「専門学校に行くなら単身で」

 心の中でそれだけは避けたいという気持ちがあったので、大学へ行くことを必死でアピール説明しました。

 

 しかし、妻としてはやはりアルバイトの収入だけでは不安があることと、授業料免除が確実でない中で奨学金を借りて借金を増やしたくはないということを言われました。

 冷静に現実を見た場合、確かにその通りなのです。

 家を建てたことによる借金がある中で奨学金の返済が重なると、家計の負担はさらに大きくなります。その上私がアルバイト収入となると、生活の基盤そのものが不安定になる可能性は非常に高くなります。

 

そのため、現実的な方針として、

 

・日中は正社員として仕事をして安定した収入を得つつ、夜間の専門学校に通う。

 

・専門学校は「専門実践教育訓練給付金」の対象校に通い、できるだけ就学にかかる金銭的負担を軽減する。

 

・単身の生活になるが、健康維持に留意して可能な限り質素な生活を営む。

 

が打ち出されることになったのです。

 

 妻や子供と離れ同じ時間を過ごすことができないことは非常に辛いことではありますが、それを犠牲にしてでも得られるものの大きさを考えると、やむを得ないと考えることにしました。むしろ、大きなものを得られるように自分自身が努力をしなければならない、大きなものを得なければならないのです。

 

 

 ということで、協議の結果私においては、

 「単身、大阪の専門学校に行く」

これが最適な方法であるという結論に至ったのでした。